これまでの歩み
2017.06
「えるぼし」認定
「女性活躍推進法」に基づき、女性の活躍推進に関する取り組みの実施状況が優良な企業として、認定マーク「えるぼし」を取得。認定項目は①採用②継続就業③労働時間等の働き方④管理職比率⑤多様なキャリアコースがあり、当社は②〜⑤の4項目で基準を満たすことから、「えるぼし」の2段階目の認定を取得。
2017.05
インド・Daawat KAMEDA (India) Private Limited合弁会社設立
インドの大手食品企業であるLT Foods Limitedと共同でインド市場に合わせた米菓の製造及び販売をおこなう合弁会社設立。
2017
60周年イベント開催
会社設立60周年を記念して、「亀田のお菓子総選挙」「カメダノバザール」などを開催し、従業員一同でモザイクアートも作成した。
2016.04
「TANEBITS」(タネビッツ)オープン
「焦がす」「揚げる」「燻す」「漬ける」50周年を迎えた「亀田の柿の種」がプレミアムに進化コンセプトショップ『TANEBITS』が阪急うめだ本店に開業。
2016.01
「亀田の柿の種」12年ぶりに リニューアル
ピーナッツの製法を改良した「亀田の柿の種」がリニューアル。ピーナッツのまろやかさ、カリッとした食感、香ばしさのアップとなる改良を行った。新パッケージには「いつでもカリッと!」をキャッチコピーが入った。
2015.06
新体制
田中通泰が代表取締役会長 CEOに、 佐藤 勇が代表取締役社長 COOに就任
2014.11
亀田工場工業団地が「FSSC22000」認証を取得
食品の安全・安心の管理体制のさらなる向上を目指し、食品安全システムの規格FSSC22000を、主力工場である亀田工場工業団地が認証取得。
2013.10
「亀田の柿の種」イメージキャラクターに女優 有村架純さんを起用
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で好演し、人気急上昇中の女優・有村架純さんを「亀田の柿の種」のイメージキャラクターに起用。爽やかな笑顔が話題となった。
2013.06
持分法適用関連会社「THIEN HA KAMEDA, JSC.」を設立
アジア市場への取組の一環として、ベトナムにおける合弁会社「THIEN HA KAMEDA,JSC」を設立。
2013.01
尾西食品株式会社を子会社化
「お米」を通して更に幅広い商品・サービスが提供できるよう、当グループの事業拡大を計るため、お米を原料とする長期保存食の有力企業尾西食品株式会社(東京都)の全株式を取得し、子会社化した。
2012.12
アメリカ・Mary's Gone Crackers. Incを子会社化
Mary's Gone Crackers, Inc. は、米国内で拡大しているオーガニック市場において、有力なクッキー・クラッカーブランドを持つ成長著しい企業。今後は、同社のブランドを活かしながら、当社の商品開発力・製造技術等のノウハウを投入することで、当グループの海外事業の拡大をはかる。
2012.10
ソフトタイプ米菓に適した 水稲新品種「亀の蔵」開発
農研機構 中央農業総合研究センターは、早生の低アミロース水稲新品種「亀の蔵」を開発。農研機構 中央農業総合研究センターと亀田製菓株式会社は共同研究を行い、「亀の蔵」を用いると、口溶けが良好で、米の風味、甘味が強いソフトタイプ米菓の製造が可能となり、作業性にも優れることを明らかにした。
「HAPPY Turn's(ハッピーターンズ)」オープン
「幸せ届けるお米の焼菓子」コンセプトとして「HAPPY Turn's」を阪急うめだ本店に開業。
2012.04
東京証券取引所市場第一部 に指定
2012年4月6日、亀田製菓の株式が東京証券取引所市場第二部より同市場第一部銘柄に指定。国内および海外での事業拡大、収益の成長と企業価値の向上を目指す。
2011.03
東北地方太平洋沖地震発生。被災地への援助や復興支援を行った。
3月に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、発生直後から物資支援、被災者の雇用支援などの数々の支援を行った。
2010
日本航空と連携し、ハッピーターンPRキャンペーンをスタート
10月に名古屋で開催された「国連地球生きもの会議(COP10)」に合わせ、JALとのコラボレーションで「飛びたてハッピーターンキャンペーン」を実施(7月21日~9月30日)。ハッピーターンラッピング機「COPエコ・ハッピーターン号」が就航。
2010.05
乳酸菌「K-2」が素材として販売開始
アトピー性皮膚炎やスギ花粉症などのアレルギー症状緩和作用や、インフルエンザの症状緩和作用をもつ、酒粕由来の植物性乳酸菌「K-2」を大学と共同研究し、素材として販売を開始した。
2009.05
食育の一環として稲作プロジェクトスタート
食育の一環として、地元小学校との「稲作プロジェクト:を開始。2013年まで開催された。また、新潟市と災害時応援協定を締結するなど、地域との結びつきを強めた年になった。
2009.02
タイ・SMTC Co.,Ltd.(現・THAI KAMEDA CO., LTD.)を子会社化
タイを重要な供給拠点の一つとして位置づけ、安全で高品質な米菓を生産することができるSMTC社を子会社化。
2008.05
G8労働大臣会合が新潟市で開催され、亀田製菓を視察
G8労働大臣会合が新潟市で開催。亀田製菓も視察先に選ばれ、その取組と技術力の高さをアピールすることができた。
2008.04
KAMEDA USA設立
海外事業拡大と将来への布石として「KAMEDA USA,INC.」を設立。「柿の種」を中心とする米菓の販売を事業内容として、米国西海岸を中心にテスト販売を開始した。
2008.02
新食感おせんべい「Sakuri」発売
「ちょっとおしゃれに ちょっとモダン」というキャッチコピーで新発売された新食感おせんべい。おせんべい生地にクラッシュアーモンドを練り込み、表面にスプレーしたホイップシュガーで、ほんのり甘く、外側はカリッ、中はサクリとした食感で人気を博した。
2007.10
新R&Dセンター竣工、開所式
技術と創造の機能を統合し、健康・おいしさ・感動を創る拠点として、新R&Dセンターを建設。
2007.07
新潟県中越沖地震発生支援
2004年の中越地震に続き、中越沖地震が発生。物資の提供などを行った。
2006.06
田中通泰が取締役社長に就任。
2005.07
天津亀田食品有限公司(康師傅悾股有限公司との合弁会社)を設立
中国の大手食品会社、康師傅との合弁により、中国2社目の子会社として設立。中国国内市場に向けて米菓の製造販売を開始した。中国におけるニーズや嗜好を捉えるための模索が続いた。 ※2012年(平成24年)合弁事業を解消
2005.06
ポップコーン3品(うす塩味、バター味、あっさりバター味)発売
アメリカ・コナグラ社の電子レンジポップコーンの販売権を獲得し、販売開始。
2004.10
新潟中越地震発生、ボランティア活動を行う
7月に新潟県中・下越地方を襲った「7・13水害」に続き、10月には中越地方で中越地震が発生。緊急食糧として米菓の提供を行ったほか、ボランティアとして社員150名を派遣し、地域社会に貢献した。
株式会社日新製菓を子会社化
「ふくべせん」などのヒット商品で知られる栃木県の米菓メーカー株式会社日新製菓と業務・資本提携を結んだ。
2004.05
青島亀田有限公司開業式
中国初の子会社・青島亀田有限公司の開業式を行い、本格的な中国進出の始まりとなった。
2004.02
とよす株式会社を子会社化
「あられはやっぱりとよす」で有名な関西の米菓メーカーとよす株式会社と業務・資本提携を結んだ。
2003
「たきたての発芽玄米」発売
低アミロース米「たきたて」を使用した発芽玄米で、食べやすさ、おいしさにこだわった商品。
2003.11
サッカー アルビレックス新潟J2優勝、J1に昇格決定
1996年からユニフォームスポンサーを務めているサッカー・アルビレックス新潟がJ2で優勝し、J1昇格を決めた。
2003.01
中国青島市に「青島亀田食品有限公司」を設立
中国への進出の先駆けとして、青島市に子会社を設立。
2001.11
「植物性乳酸菌ヨーグルト」が新潟産業大賞2001で奨励賞受賞
新潟県産牛乳を使用し、植物性乳酸菌でじっくり発酵させ、スッキリとした味わいに仕上げた「植物性乳酸菌ヨーグルト」が、新潟産業大賞2001で奨励賞を受賞した。
2000.10
「ふっくらおかゆ」「植物性乳酸菌ヨーグルト」発売
「コメの成分を活用した新しい食品の開発」をテーマとしてヘルスケア商品を開発・販売。
2000.04
古泉肇が取締役会長に就任、金津猛が取締役社長に就任
2000.03
新潟証券取引所と東京証券取引所の合併に伴い、東京証券取引所市場第2部に上場
1984年に県内の米菓メーカーとして初めて新潟証券取引所に株式を上場していたが、この年、新潟証券取引所が東京証券取引所と合併したため、東京証券取引所第2部上場を果した。
1999.04
ISO9002認証取得
品質管理システム規格のひとつであるISO9002認証を取得。安全・安心とともに高品質な商品の製造への取り組みが形になった。
1998.04
株式会社アデマック設立
亀田製菓のエンジニアリング事業部を分社化する目的で設立された。 エンジニアリング事業部を分社化
1997.10
ケイ・システム株式会社を設立
亀田製菓の情報システム事業部を分社化する目的で設立された。 ※2010年亀田製菓に吸収合併。
1997.09
和菓子「ハイカラ和菓子館」4品(窯焼きパイむらさき芋、窯焼きパイごま小倉、二色団子餅、プチチョコ大福)発売
気軽に楽しめる新感覚の和菓子として「ハイカラ和菓子館」シリーズが発売。鹿児島産のむらさき芋を使用した本格的なパイ「窯焼きパイむらさき芋」など、素材にもこだわった。
1997.06
会社設立40周年記念文化事業「日本の歌100選」選考・発表会
会社設立40周年記念文化事業として、21世紀に残したい童謡・唱歌「日本の歌100選」を応募総数21万通から先行し、東京のホテルにて発表の記者会見が行われた。
1996.05
「アルビレオ新潟FC」(※)とスポンサー契約
アルビレオ新潟FC(※)とスポンサー契約。以降、現在に至るまでスポンサーとして、新潟を代表するプロサッカーチームを支えている。 ※翌年「アルビレックス新潟」に改名
1996
「えびっぷり」シリーズ発売
本物の味わい、うまさを作り上げた新しいスナック。試験販売の後、「えびっぷり」を全国発売。続いて「いかっぷり」「かにっぷり」を発売した。
1994
「ゆめごはん」発売
慢性腎不全の患者さん向けに開発された、低タンパク質ごはん。新潟県食品研究所での研究で「どぶろく」をヒントにしている。1993年10月、萬有製薬(株)と共同研究契約を締結した。
1994.07
ヘルスケア食品事業に参入、記者会見
研究室のテーマの一つであった「コメの成分を活用した新しい食品の開発」を原点にヘルスケア食品事業への参入が決定。低たんぱく、低リン米飯「ゆめごはん」を発売し、記者発表を行った。
1993
「つまみ種」発売
どんな飲み物にも相性ぴったり。10種類のおいしさが入ったおつまみミックス。
1990
「コメスタ」発売
お米を使った米菓特有の風味の良さと、パリッとした食感が特徴のスナック。
1990.11
新本社社屋完成 本社移転
分散していた本社機能の統合を計り、日々発信されるニーズにスピーディーに対応する情報のキーステーションとして、新潟市南部の亀田IC予定地に隣接する田園地帯に完成した。
1989.06
アメリカ、SESMARK FOODS,INC.と 業務提携
アメリカ「SESMARK FOODS,INCと業務提携し、アメリカ進出を果たす。亀田製菓の海外初拠点となった。北米における健康志向の高まりを背景に、低カロリー・低脂肪、低アレルギー性のライスクラッカーとして、亀田製菓の米菓は大きな成長を続けている。 ※2004年2月、SESMARK FOODS,INC.は、TH FOODS, INC.に社名変更
1988
「荒挽きスナック」発売
とうもろこしの自然な味と香ばしさがたまらない、新しい風味のスナック。
1987.11
会社設立30周年記念ならびに 亀田第2工場竣工披露式典
会社設立30周年記念ならびに亀田第2工場竣工披露式典が行われた。
1987.05
アジカルフーズ株式会社が設立
【食文化創造企業をめざす】という目標のもと、1987年に亀田製菓株式会社のグループ企業として設立。小ロット商品のフレキシブルな生産体制を構築した。 ※1992年4月、100%子会社化 ※1995年4月、アジカル株式会社に商号変更
1986
「いんてりスナック」発売
米菓の製造技術を生かして、新しいスナックのジャンルを切り拓く商品として発売。TVCMも大いに話題をよんだ。
「ぽたぽた焼」発売
伝統的な米菓の延長線上にある商品で、亀田製菓の基本的な米菓製造技術、生産設備をフル活用して生まれた商品。
「まがりせんべい」発売
「まがりせんべい」はその名の通り、波型に曲がった手焼き風せんべい。
1985
「揚一番」発売
油でカラッと揚げた、サクッと軽い歯ざわりのしょうゆ仕上げの揚げせんべい。
1984.07
新潟証券取引所へ株式上場申請
新潟証券取引所へ、当社の株式上場を申請した。
1983
古泉榮治が会長に、古泉肇が社長に就任
「ハイチーズ」発売
もち米の香ばしい風味とチーズのまろやかさがおいしいと人気になったおせんべい。
1982
「こつぶっこ」発売
ほんのりとした甘みが人気の「こつぶっこ」が発売。TVCMも放映し、揚げ物ジャンルでNo.1を獲得した。
1980.11
第2回農林水産大臣賞受賞
創業以来積み上げてきた技術の集積から、業界に大きく貢献したとして、亀田製菓株式会社に農林水産大臣賞が贈られた。
1978.04
バニラクリームをサンドした新感覚のライススナック。新潟市内のホテルにて発売記念パーティーが開かれた。
1977
「フレッシュパック柿の種」発売
食べやすい個包装の6分包が登場。鮮度を保つフレッシュパックは持ち歩きにも便利で、食シーンも広がった。
「梅の香巻」発売
のり巻あられの一時代を築いたヒット作。
1976
「ハッピーターン」発売
ハッピーターンが開発されていた昭和48年(1973年)は、第1次オイルショックの影響で日本中がとても不景気な状態。ネーミングにあたっては文字どおり幸せ(ハッピー)がお客様に戻って来る(ターン)ようにと願いを込めてつけられた。従来のおせんべいは「しょうゆ味」というイメージだったが、いままでのイメージとは違う、洋風の甘いお菓子のような味のおせんべいをということで開発された。
1976.03
白根工場竣工式
9月(粳米菓) 操業開始。 10月(糯米菓) 操業開始。
1975
米菓業界で売上日本一に(売上高163億7千万円)
会社設立17年にして、米菓売上日本一の座を獲得。
1974
「サクサク」発売
ソフトな歯ざわりと味、そしてボリューム感がある商品。
売上高100億円突破
第一次オイルショック後、混乱を続ける売り手市場であったが、念願の売上高100億円を突破した。
1974.02
亀菓運輸株式会社を設立
亀田製菓製品の輸送を主目的に作られた。米菓は速やかに破損なく運ばなければならないため、亀菓運輸設立による輸送の合理化は当社にとって非常に重要な意味を成した。 ※1982年7月には社名を新潟輸送株式会社と変更 ※1992年4月、100%子会社化
1972.10
本社社屋完成移転 11月竣工式
本社ビル(旧本社ビル)が完成し、移転した。11月に竣工式。
1971.09
水原工場完成
会社の規模を拡大させ、100億円企業を目指すため、新たに水原工場が完成、稼働開始した。
1970.09
第12回新潟県菓子品評展示会で「大判」が食糧庁長官賞受賞
第12回新潟県菓子品評展示会で「大判」が食糧庁長官賞受賞。大判型のひび焼き製品で、1969年から発売された。
1969.08
亀田あられ株式会社を設立
亀田製菓の拡張余地が限界に達したため、雇用エリアが重複しない水原町にのり巻、包装工程の会社として設立された。資本金500万円、従業員51名でスタート。 ※1992年4月、合併
1969
テレビCMを開始
業界の先陣を切って、この年から本格的な広告・宣伝活動がスタート。「亀田のあられ・おせんべい♪」というサウンドロゴは、今や亀田製菓の代名詞になっている。
1967
「サラダうす焼」発売
開発のコンセプトはコカ・コーラなどのドリンクにもよく合うそんな“軽さ”。 1968年、第17回全国菓子博覧会で「サラダうす焼」が名誉総裁賞受賞。
1966
「ピーナッツ入り柿の種」発売
創業当時、柿の種やピーナッツなどを直売所で別々に量り売りしており、店番をしていた創業者の奥さんが、たまたま柿の種とピーナッツを混ぜてみたらとてもおいしく、商品化のきっかけとなった。
1965
亀田製菓ブランドマーク制定
信頼、高級感、なつかしさ、ふるさとなど伝統食品である米菓と米菓の工業化をはかる亀田製菓を象徴するマークとして誕生。
売上高10億円を突破
東京と大阪という二大商圏の販売拠点強化を実現し、前年売上高25%アップし、10億円を突破した。
1961.07
「サラダホープ」発売
社会の洋風化嗜好の変化を捉え、ヒット商品となった。
1960.08
研究室を新設
研究室を新設し、商品開発により一層力を入れることができるようになり、数々のヒット商品を生む基盤を確立。
1959.09
千住に東京営業所を開設
亀田の地から全国へと展開していく足がかりとして、東京営業所を東京都足立区千住に開設した。1960年に亀戸へ移転。
1957.08
亀田製菓株式会社設立
亀田町農産加工農業協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立。組合を解散して近代的な株式会社組織とし、経営の合理化、スピードのある組織運営を目指した。
1957.04
全国菓子博覧会で「初穂」金賞を受賞
第14回全国菓子博覧会で『初穂』が金賞を受賞し、米菓専業をと考える当社に大きな自信を与えた。 ※1961年には第15回全国菓子博覧会で名誉大賞も受賞
設立以前
創業初期
1946年、亀田郷農民組合委託加工所として創立。1950年、亀田町農産加工農業協同組合にて焼菓子を主体に柿の種などもち米菓も製造。