米菓の歴史

やよい先生イラスト もう放課後ですが…教えましょう やよい先生〜米菓の歴史を教えてください げん米くん

米菓の歴史

米菓という言葉がはじめて使われたのは、昭和4年に「あられ」と「せんべい」の「米菓製造所」であることが確認されています。
米菓とは、お米を主な原料として製造される菓子製品のことです。その主原料はもち米とうるち米の違いによって大きく2つに分けることができます。もち製品の「あられ」「おかき(かきもち)」と、うるち米製品の「せんべい」の2種類です。
昔の人は神棚のお供え物として、うるち米よりも日持ちするもち米を用いていたのではないかとの見方があります。
そのお供え物を、かき砕いて焼いたり、あぶったりして食べたのが、米菓の起源ではないかといわれています。

参考/全国米菓工業組合「米菓とともに半世紀(50周年記念誌)」

あられの歴史

かきもち画像

「あられ」の原料であるもち米の由来は古く、すでに稲作の起源である縄文時代後期には作つけが行われていたのではないかという説があります。また、もち米を祝いの儀にお供えすることは、日本古来からの風習であったと伝えられています。奈良時代(700年代)には、宮内省管轄下で儀式の食膳などを担っていた部署に、もち係も置かれていました。

平安時代朝廷では元日の朝、歯固めという儀式で天皇に鏡もちが献じられていましたが、実際には口にされず、後に砕いて食したものと考えられています。そして、文明年間(1469年~1615年)には、今日的な「あられ」の製法が用いられていたようです。
関西では「あられ」も含めて「かきもち(おかき)」といわれていますが、「おかき」の語は現在、東京でも一般化して使われています。

参考/全国米菓工業組合「米菓とともに半世紀(50周年記念誌)」

せんべいの歴史

せんべい画像

「せんべい」の起源は、空海(くうかい)が中国から持ち帰ったものであるとか、千利休(せんのりきゅう)の弟子が考案した菓子の由来であるとか、草加のおせんさんという人が旅人から教わって団子の残りを焼いたのが始まりであるとか、いろいろ言い伝えがありますが、団子状のもちを焼いて食べることは弥生文化時代にはすでに普及していました。しかし、これはあくまでも主食で、間食として菓子の性格を持つものは室町時代以降であり、江戸時代になって多くの名物せんべいが誕生しました。

江戸時代に「せんべい」と称したのは、小麦粉に砂糖を混ぜて練り、焼いたものでした。なかでも「塩せんべい」は下級品とされ、農家が残り飯を煎(い)って蒸し、塩を混ぜてのばしてから竹筒で丸形に抜き、天日干しして炭火で焼いたのが始まりとされています。 「塩せんべい」にしょうゆが用いられ、現在のような製品となるのは1645年以降で、江戸に近い町屋、千住、金町、柴又、草加などで繁盛しました。とりわけ奥州街道の宿場町でもあった草加の「草加せんべい」は「塩せんべい」を代表するほどの人気となりました。

参考/全国米菓工業組合「米菓とともに半世紀(50周年記念誌)」