沿革
1940 - 1949
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1946
昭和21年
- 現・亀田工場(元町)において亀田郷農民組合委託加工所を創業し、水飴の委託加工を開始
創業当時の
直売所
経営とは、経営者と従業員が、その職場を通してお互いに信頼協力、全能力を発揮して社会に貢献する一方、お互いに経済生活を確保する共同の場でなければならない。この理解と融合を深めてこそ企業は発展する。以来、この信条を今日まで貫いてきたつもりである。
(たった6名の従業員と苦楽を共にした委託加工所時代をふりかえって -古泉榮治のことば)
1950 - 1959
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1950
昭和25年
- 法人組織の亀田町農産加工農業協同組合に改組
焼菓子を主体として、柿の種などもち米菓も製造
・亀田町農産加工農業協同組合時代の事務所
・亀田町(現新潟市)メインストリート(昭和32年頃)
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1957
昭和32年
- 亀田町農産加工農業協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立
企業経営本来の目的とは、安い原価で最良の製品を作り、社会福祉に貢献すると共に、これにつらなる人々が安んじて生活を楽しむためのものでなくてなならない。従って株主、従業員の意志が充分経営活動に盛り込まれるよう、民主経営方式をとる必要がある。
(昭和31年、農産加工農業協同組合の組合長に就任して -古泉榮治のことば)
1960 - 1969
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1961
昭和36年
・製造風景
・サラダホープ
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1965
昭和40年
亀甲マーク
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1966
昭和41年
ピーナッツ入り柿の種
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1967
昭和42年
サラダうす焼
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1969
昭和44年
テレビCM
米菓はビスケットやチョコレートと違って外国からプラントを輸入することはできない。したがって資金力の豊富な大手メーカーでも簡単に参入できない。そして二度もアルファ化する工程の複雑さからみて、直ちに大型化、量産化できる企業は少ない。そして全国的に見ても競争して勝てないと思われるメーカーも少ない。この中にあって当社は既に、原料米をはじめとする各種素材、その物性の変化を各工程ごとに科学的解明できるソフト面を持っている。それに加えて量産機械のハード面からの自社開発ノウハウの蓄積も多くなった。この力を結集して取り組むならば、米菓業界で確実に日本一になりうる。
(昭和38年、日本一の米菓作りを目指すという基本方針に付言して -古泉榮治のことば)
1970 - 1979
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1971
昭和46年
水原工場
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1972
昭和47年
・旧・本社ビル
・「ハイハイン」発売
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1974
昭和49年
- 売上高100億円突破
- コンピュータによる情報オンラインシステム完成
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1976
昭和51年
・白根工場
・ハッピーターン
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1977
昭和52年
- 会社設立20周年
- 「梅の香巻」「フレッシュパック柿の種」発売
・梅の香巻
・フレッシュパック柿の種
日本一になれるかなれないか、なってみなければ判らないという人もいるだろう。それはその通りだと思う。しかし、なろうと思って努力しなければならない。それははっきりしている。
(昭和45年、経営3ヶ年計画発表のあとで -古泉榮治のことば)
1980 - 1989
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1983
昭和58年
会長・社長就任披露宴
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1984
昭和59年
上場承認書を受け取る古泉社長 (現名誉顧問)
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1985
昭和60年
揚一番
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1986
昭和61年
・まがりせんべい
・ぽたぽた焼
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1987
昭和62年
亀田工場
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1989
昭和64年
- 「海苔ピーパック」発売
- アメリカ・SESMARK FOODS, INC.(現TH FOODS, INC.)と業務提携
海苔ピーパック
私の社長在任中に、近代社会に適合できる企業基盤はできたと確信する。その基盤の上にどんなものを育てていくか、変転激しい環境と時代の流れを予見しながら、若い社長と共に確実な歩みを進めることを心から期待する。
(昭和58年、取締役会長就任にあたって -古泉榮治のことば)
亀田製菓はいまや米菓業界を代表する企業に成長、株式を上場するまでに至った。昔の武士に例えれば”元服”に似ている。一人前の武士に成長するように体力も知力も立派にそなえて、上場企業に仲間入りするのである。企業を興して汗を流し、今日に至った喜びをかみしめながらも、自信と自覚のもと、いよいよこれからが本番だと、決意を新たにがんばりたい。亀田製菓はこれからである。
(昭和59年、新潟証券取引所に株式上場実現にあたって-古泉肇のことば)
1990 - 1999
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1990
平成2年
本社ビル
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1992
平成4年
- 新潟輸送株式会社、アジカルフーズ株式会社(現アジカル株式会社)を子会社化
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1993
平成5年
つまみ種
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1994
平成6年
・「ゆめごはん」新規事業記者会見
・ゆめごはん
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1996
平成8年
えびっぷり
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1997
平成9年
- 情報システム事業部を分社化、ケイ・システム株式会社を設立
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1998
平成10年
- エンジニアリング事業部を分社化、株式会社アデマックを設立
- 「海老のりあられ」発売
海老のりあられ
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1999
平成11年
亀田製菓は、これまでお菓子を通じて、消費者の皆様に、おいしさと、楽しさと、夢を語り続けてきた。日本の社会は、確実に高齢化社会に向かっており、さまざまな成人病患者の増大が予想される。私たちがこれまで培ってきた米に対する研究・情熱が、「ゆめごはん」という商品を通じて、社会のお役に立てることは、望外の喜びです。 これまでのお菓子づくりとは異なる世界で、未知の分野への新たな夢づくりにチャレンジし、来るべき21世紀の社会に貢献できる新しい亀田製菓を目指していきたいと願っている。
(平成6年、「ゆめごはん」発売にあたって -古泉肇のことば)
2000 - 2009
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2000
平成12年
- 新潟証券取引所と東京証券取引所の合併に伴い、東京証券取引所市場第二部に上場
- 「ふっくらおかゆ」発売
- 古泉肇が会長に、金津猛が社長に就任
・東京証券取引所市場 第二部に上場
・東証アローズで記者会見「ふっくらおかゆ」
・ふっくらおかゆ
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2003
平成15年
青島亀田食品有限公司
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2004
平成16年
- とよす株式会社を子会社化
- 株式会社日新製菓を子会社化
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2005
平成17年
手塩屋
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2007
平成19年
R&Dセンター
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2008
平成20年
- アメリカ・KAMEDA USA,INC.を設立
- 「技のこだ割り」「堅ぶつ」発売
・技のこだ割り
・堅ぶつ
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2009
平成21年
- タイ・SMTC Co., Ltd.(現THAI KAMEDA CO., LTD.)を子会社化
- グループビジョン「グローバル・フード・カンパニー」を策定
東証上場という節目に新社長の任を引き継いだ私の役目は、種々の課題を「スピード」と「革新」で解決し、業績の回復を果たして、株主をはじめ会社にまつわるすべての人の信頼に応えることと考える。当社の歴史の中で最も厳しい経営状況にあるが、21世紀の社会に貢献できる素晴らしい亀田製菓をめざしていきたい。
(平成12年、取締役社長就任にあたって -金津猛のことば)
99年度決算で創業以来初めて営業赤字に転落して以降、思い切った社内改革により短期間でV字回復を果たすことができた。人口問題、食の安全安心への高まり、流通再編、メーカーの価格支配権の低落など、当社を取り巻く変化は、何が起こってもおかしくない状況にある。
このような環境下にあっても、全員でベクトルを一つにし、主体的かつ機動的にお客さま起点の経営に徹することで、厳しい時代を乗り越えることが出来ると思う。
(平成18年、取締役社長就任にあたって -田中通泰のことば)
亀田製菓のブランド「安心・健康・信頼」を更に進化させ、日本を代表するお菓子メーカーとして大きく成長することが使命と考えている。亀田製菓グループ社員一人ひとりの力を集結し「グローバル・フード・カンパニー」を目指していく。
(平成21年、中期経営計画発表にあたって -田中通泰のことば)
2010 - 2019
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2010
平成22年
- ケイ・システム株式会社、株式会社アデマックを吸収合併
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2012
平成24年
- 東京証券取引所市場第一部に指定替え
- アメリカ・Mary’s Gone Crackers, Inc.を子会社化
- 天津亀田食品有限公司の持分を全て譲渡
・東京証券取引所市場第一部に指定替え
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2013
平成25年
- 尾西食品株式会社を子会社化
- ベトナム・THIEN HA KAMEDA, JSC.を設立
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2014
平成26年
- 食品安全システムの規格FSSC 22000認証取得
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2015
平成27年
- 田中通泰が代表取締役会長 CEOに、佐藤 勇が代表取締役社長 COOに就任
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2017
平成29年
- 会社設立60周年
- インド・Daawat KAMEDA (India) Private Limitedを設立
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2018
平成30年
- カンボジア・LYLY KAMEDA CO., LTD.を設立
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2019
平成31年
- 株式会社マイセン、株式会社マイセンファインフードを子会社化